沖縄拳法とは


「沖縄拳法」とは、古くから沖縄に伝わる武術「手(てぃ)」を、泊手の達人、武士国吉と呼ばれた国吉真吉先生が研究し磨き上げ、 その技術と思想を継承した中村茂先生が名護市東江に「沖縄拳法空手道修練所」を設立し、様々な想いのもと、世に広めようとした空手です。

 

「沖縄拳法」とは中村茂先生のお言葉を借りれば、

 

  「沖縄の空手に本来、流派は無い。全てが『手』だった。

   だから沖縄に伝わる空手、拳法でいいじゃないか。

   沖縄拳法でいいじゃないか。」

 

という意味でした。

 

ですから、当初の意味合いとしては流派名ではなく、「沖縄の手」という、意味でした。

そして沖縄拳法とは「沖縄に伝わる『手(てぃ)』」そのものを指しながらも、沖縄の空手統一という、活動の名称でもありました。

 

中村茂先生は、様々な流派の空手の拡大時代の最中に、「沖縄の空手は一つになろう」と呼びかけ、沖縄中の空手家で集い共に力を合わせて行こうという活動を行いました。

1961年6月17日には、那覇の八汐荘で行われた「沖縄古武道協会幹部設立記念」にて、多くの空手の先人たちが集い、 沖縄の空手道統合についての議論を重ね和気あいあいとした中で、沖縄の空手道統合への賛同得られるまでに至りました。

 

しかし、中村茂先生がお亡くなりになられた後は、各流派がそれぞれの発展を目指し、統合は成りませんでしたが、 結果的には沖縄空手の発展の時代へと進みました。

現在では、多くの流派がそれぞれに独立して発展し、時代は移り行き、沖縄拳法は中村茂先生の直弟子たちの流派名として定着しつつあります。

私達は流派名というだけではなく、国吉真吉先生、中村茂先生の思いそのものを受け継ぎ、次代に伝えて行きたいと思っています。

また、中村茂先生が大事にした武士国吉の泊手の技術と型、思想を後世に伝えるべく、少しずつですが活動を広げています。

 

 

師範紹介


 山城美智(Yoshitomo Yamashiro)プロフィール


宮里寛より「手」を継承した父・山城辰夫に、幼少の頃から指導を受ける。

沖縄全島から集まった各流派、沖縄拳法の選手が参加して行われた「全沖縄防具付組手空手道選手権大会」にて、

1992年 第三回、1993年 第四回大会で優勝。

第一回大会準優勝(優勝は実兄)。

1990年「第一回 世界のウチナーンチュ大会 空手道・古武道世界交流祭」に演武参加。

琉球大学にて「沖縄拳法古武道部」を設立。初代部長となる。

父、山城辰夫の師匠である宮里寛先生より、沖縄拳法の指導を受け沖縄古来の「手」を継承する。

現在、沖縄・関東・関西・アメリカ・カナダ・オーストラリア等で稽古会・講習会などを主催。

沖縄拳法の普及・継承を目的として活動している。